スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

0
    • -
    • -
    • -
    • by スポンサードリンク

    30数年前の暮らしを知る意味

     昨年1月末に近所の83歳のしげちゃんのわらずと納豆作りを教わった。しげちゃんはわたしたちが借りていた畑のすぐ横の1反くらいの畑で大豆も小豆もごぼうも作り、ほとんどのものを直角に曲がった腰をさすりさすり、自給していた。しげちゃんはなんでも知っていて、鳩の鳴き方で午後から雨が降るかどうかわかるすごい人だった。それくらい自然と対話しながら生きてきた人。しげちゃんとしゃべるのを楽しみに畑に通っていたような気がする。しげちゃんは納豆作りの講座を開いた1週間後に畑で倒れて亡くなった。納豆作りが花道だったとみんなに言われた。近所の人にわたしたちが作った納豆をふるまっていたのを、お通夜で聞いてうれしくて涙した。一緒に作ったわたしたちの納豆は上出来だったのだろう。

     それから気をつけるようになった。近くにいるおじいちゃん、おばあちゃんたちはずっと生きていてはくれないのだった。田んぼの地主さんのぬい子さんには、田苗代の苗取りを昔どうやっていたかを教わった。朝飯前に一日の田植えの苗を採り切る。以前聞いたことがあるが、その前にお茶摘みもしていたそうだ。田植えとお茶摘みは時期が重なる。
     苗を採る時もしゃがまない、わたしたちのようにコンテナに座っていてはとても仕事が終わらない。「機械が入って楽になってよかった」と心からの言葉だった。
     稲刈りの時も来てもらった。これがまたすごい迫力で大きな束をつくる。しばる縄は農閑期にたくさん作っておく。数本の藁を足で押さえて、下から撚り上げ、一番上をくるっと反転させるとしゃんとなる。なんでこうもすべての動作が美しいのだろう。稲を刈るぬい子さんに見とれた。

     豊年踊り、、、吉生小学校の盆踊りで始めて踊った。太鼓だけで踊るこんなに面白い踊りがあるのかとびっくり。これは収穫祭でみんなで踊れる、、と思って11月に練習会を開いた。3人の踊りの先生が来てくれた。足が痛いのを我慢して踊ってくれる先生、ただただ横からげきを飛ばす先生、わたしたちが真剣に踊っているのを見てみんな大爆笑。本当に元気なおばあちゃんたち。おばあちゃんたちは「あんたたちの踊りにはこころがある。」と言ってくれた。それはやはり農業をやっているからなんだろうか。それを感じとってくれたんだろうか。もしそうだとしたら、わたしが目指す道は一足飛びに、このおばあちゃんたちが生きてきた時間とつながっているようだ。

     わたしが欲しがっている精神的な支柱を70歳代、80歳代のおじいちゃん、おばあちゃんたちは持っている。それは自然から恵みを受けてどうやって生きていくか、どうやって物事をとらえていくかという智恵。言葉の端々からそういうニュアンスが漂う。ただただ近くにいて、ずっと話を聞いていたいと思う。機会があればこんなにすばらしい財産をもっているおじいちゃん、おばあちゃんたちと若い人たちを一同に会わせてみたい、という妄想がある。自然から人はどうやって恵みを受け取るのか、受け取る時のこころもちはどんななのか。ものを買わなくてもそこらへんにあるものでなんでも作れるとわかれば、若い人たちはどんなに安心するだろうか、、。ただ昔の暮らしのノスタルジーにひたるのではなく、これは未来にむかって現実を前向きにとらえるための作業と思う。
    畑を鍬で耕す腰の力はあるのか、これだけの面積を田植えする足の力はあるのか、藁をなう手は痛くないか、生きていくための精神力、体力はあるのか、、、それがこれからどんどん重要になってくると思う。

    おじいちゃん、おばあちゃんにへばりついているのはそんな理由だ。
    0

      スポンサーサイト

      0
        • -
        • -
        • -
        • by スポンサードリンク

        Comments
        コメントする








           
        この記事のトラックバックURL
        Trackbacks